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インド洋にもエルニーニョ?
山形俊男,サジ・ハミード

1994年の夏にわが国を襲った異常な猛暑はまだ記憶に新しい。筆者らのグループの最近の研究によれば,熱帯域のインド洋に著しい大気海洋現象(ダイポールモード)が発生し,この影響が大気変動を経由してインド洋沿岸諸国のみならず,わが国の夏にも大きく影響したようである。太平洋のエルニーニョ/南方振動現象の発見に遅れること1世紀,新たに発見されたこのダイポールモード現象はインド洋沿岸諸国のみならず,大気のテレコネクションを通じて世界の気候に大きな影響を及ぼす現象であることが明らかになりつつある1)

■西太平洋および東インド洋熱帯域の奇妙な海洋変動
貿易風により西太平洋の熱帯域に蓄積された海洋表層の暖水は,エルニーニョのときには中央部太平や東太平洋に移動し,そのために西太平洋の水位が下がることがよく知られている。不思議なことに,1994年にはきわめて大きな水位の低下がみられるにもかかわらず,太平洋熱帯域にはそれほど強いエルニーニョは発生していないのである。この西太平洋の暖かい水塊はどこに移動したのだろうか?
 西太平洋の熱帯域はインドネシア多島海を経てインド洋に繋がっている。観光地で名高いバリ島のあるロンボク海峡は幅50kmほどであるが,2つの大洋を結ぶ重要な水路の1つである。このインドネシアを通過する流れ(インドネシア通過流とよぶ)に関するこれまでの研究によれば,太平洋のエルニーニョ(ラニーニャ)時に通過流量が減少(増大)することがわかっている。これはエルニーニョ(ラニーニャ)時には西太平洋熱帯域では水位が下がり(上がり),西太平洋と東インド洋の間の水圧差が減少(増大)するためである。ところが,世界海洋の水位を数センチメートルの精度で計測するトペックス/ポセイドン衛星の高度計データによれば,1994年にはきわめて異常な現象がジャワ島やスマトラ島沖合に発生し,インド洋側の水位が著しく低かった。このため,太平洋側は弱いエルニーニョ的な様相を示していたにもかかわらず,インドネシア通過流は増大していたのである2)
 この異常な状況をより正確に把握するために,海洋大循環モデルを風の観測値を用いて駆動してみたが3),確かに1994年の10月にはモンスーン休止期に定期的に発生する東向きジェット流4)は発達せず,東経70度以西では西向きのままであった。用いた風の1994年10月の状況は,ほかの年に比べてずいぶんと違っていた。スマトラ島沖の南東貿易風が赤道を越えて北半球にまで侵入し,そのために東インド洋の赤道上では風が西向き成分をもつことになった。この風が西向きの海流を励起し,東向きのジェットの発達を妨げたのである。
■ “ダイポールモード”の発見
どうしてこのような異常な風系がインド洋の熱帯域に生じ,持続したのだろうか? 米国環境予報センター(NCEP)の大気の再解析データをくわしく調べた結果,1994年のインド洋熱帯域の海流異変は実は広範囲の大気と海洋を巻き込んだ現象であることがわかった〈図1〉。1994年6月〜9月の夏季の降水量の平年値からのずれを描いたところ,スマトラやジャワ島沖合の東インド洋を中心とする負の領域(乾燥気味の領域)とその西方の西インド洋熱帯域の正の領域(降水が増加した領域)からなるダイポール構造が明瞭に浮かび上がってきた5)。北インドから中国南部やフィリピン沖では降水が増加し,日本付近は逆に乾燥ぎみになっているのも見てとれる。西太平洋熱帯域の対流活動に励起される定在ロスビー波によるテレコネクションは日本の夏を支配するので,1994年のこのフィリピン周辺の対流活動の強化は,日本の夏に影響を与えたはずである。実際,筑波大学の田中博氏はデータ解析から,東京大学の木本昌秀氏は大気大循環モデル実験の結果から,1994年の日本の異常な猛暑はフィリピン東方沖の北緯20度付近の上昇流がその北側の下向流をともなう中緯度高圧帯を通常の夏季に比べて北に移動させ,これが日本列島を覆ったためであると結論している6)
 それでは,このようなテレコネクションを誘起するインド洋のダイポール現象はどの程度に異常な現象なのであろうか? 大気海洋データの解析の結果1960年以降,約40年の間に61年,67年,72年,82年,94年,97年の6回の顕著なイベントがあったようである。この6回の事象が季節変動とタイミングを合せていることを利用して,現象の成長を追う合成図を作成したところ,赤道域インド洋の海面水温,風系の間に正のフィードバック機構,すなわちビャルクネスのメカニズム7)*1の存在を明らかにすることができた〈図2〉。これは次のようなシナリオである。まず,何らかの原因で東部熱帯域のインド洋で南東貿易風が強化され東風成分が強まると,冷水の湧昇や蒸発によって海面水温が低下する。一方で,東風は西向きの海流を赤道沿いに励起し,東インド洋にもともとあった暖水を西インド洋に運ぶ。西インド洋では暖水の厚い層ができて深層の冷水の湧昇を妨げるためにますます暖かくなり,海面水温も上昇する。西の暖かい海面上では大気は軽くなって上昇し,東の冷たい海面上では大気は重いので下降するとともに西向きの気圧傾度が生れ,これが東風をさらに加速する。こうしてどんどん東西のコントラストが強くなり,対流圏のウォーカー循環は逆転する。ここで興味深いのは,1972年,82年,97年のように大きなエルニーニョの発生時には,西太平洋熱帯域の対流圏は下降流となるために,東インド洋の赤道域においても必然的に東風が卓越し,太平洋のエルニーニョによって強制される形でインド洋のダイポールモード現象が励起されることである。


〈図1〉1994年の夏季(6月〜9月)の降水量の平年値からのずれ
インド洋熱帯域では西で降水量が増え,東で減少するダイポールパターンが明瞭に現れている。インド北部から中国南部やフィリピンの沖では降雨量が増大しているが,日本周辺では降水量が減少していることに注意したい。単位はmm/day。


〈図2〉ダイポールモード現象の発達の様子
過去40年間に起きた6回の事象を合成したもので,風の水温の平年値からのずれを示している。寒色は負の水温異常,暖色は正の水温異常を表している。5〜6月頃に東インド洋に現れた東風がしだいに強まり,インド洋の東西に海水温のコントラストを生じさせる。水温の東西コントラストは一方で東風を強め,いわゆる正のフィードバックが働いている。冬のモンスーンの到来とともに,ダイポールモード現象は消失する。(Reprinted by permission from Nature, 401, 360(1999),fig2ゥMacmillan Magazines Ltd.)

*1 1957/58年のエルニーニョはたまたま地球物理学者の提唱した国際地球観測年にあたり,当時としては総合的な地球のデータが取得された。このデータに基づき,1966年にカリフォルニア大学のビャルクネス教授は赤道域太平洋の東側で水温が高ければ(低ければ)対流圏下層では低気圧性(高気圧性)となり,インドネシア海域に向かう西向きの貿易風は弱まる(強まる)ために東部太平洋の冷水の湧昇は抑えられて(強まって),ますます水温が高く(低く)なるという,熱帯の大気海洋システムに固有の正のフィードバックのメカニズムの存在を初めて示唆した。


■ おわりに
インドに凄惨な飢饉をもたらす不順な夏のモンスーンの予測をめざす研究の過程で,ウォーカー卿とその同時代人は1世紀ほど前に気圧の南方振動現象を発見し,その後のエルニーニョ/南方振動現象研究の礎を築くことになった。しかし関連があるとはいえ,モンスーンの変動とエルニーニョ現象の相関係数は低い。これはインド洋独自の大気海洋相互作用現象であるダイポールモードの存在が考えられると理解できるのである。この新しくカタログに加えられた気候変動現象をさらに解明し予測することは,インド洋周辺諸国のみならず,わが国を含む東アジア諸国の社会経済にきわめて有益な効果をもたらすことになるであろう。

参考文献
1)N. H. Saji et al.: Nature 401, 360(1999)
2)G. Meyers: J. Geophys. Res., 101, 12255(1996)
3)P. N. Vinayachandran et al.: Geophys. Res. Lett. 26, 1613(1999)
4)T. Yamagata et al.: J. Geophys. Res. 101, 12465(1996)
5)S. K. Behera et al.: Geophys. Res. Lett., 26, 3001(1999)
6)気象研究ノート 第189号(1997)。
7)山形俊男:科学 54,699(1984)。



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