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●監修にあたって●
東京大学名誉教授 木村陽二郎 |
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シーボルトを感嘆させた慶賀の画業
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1823 年、長崎は出島の蘭館に入ったシーボルトは、間もなくただ一人出入りを許されていた出島の絵師、川原慶賀に出会った。以来、シーボルトは日本滞在中慶賀に多数の植物図を描かせた。シーボルトが慶賀の絵を土台として欧州の絵師に植物図を描かせ、「フローラ・ヤポニカ」の第一分冊を出版したのは1835年で、その100 図をまとめた第一巻が出版されたのはと1841年である。シーボルトは、来日のときから相当な数の日本植物の図譜を計画していた。1861年の再来日のときも、さらに優秀な画家をもとめて植物図を描かせていた。彼が、著書にフローラ・ヤポニカを書名としたのも彼の意図が察せられる。 「フローラ・ヤポニカ」はその後、1870年には150 図まで出版されたが、それで終わり、慶賀の描いた多数の植物図はそのまま印刷されず埋もれていた。アレーシナ女史の論文により、この慶賀とその他の人の図からなるシーボルト・コレクションがセント・ペテルスブルクのコマロフ植物研究所に完全に保存されていることを知った丸善株式会社はその出版を考え、わたしはたのまれて、はじめて同研究所を訪れ、シーボルト・コレクションの植物図をみて感動した。 |
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シーボルトについで日本植物を志したのはマキシモーウィッチであった。彼は、シーボルトの日本再来訪のときの植物標本、川原慶賀ら日本人の多くの植物原図、日本で撮影した写真、シーボルトの得たツュンベリーの植物図譜、これらいわゆるシーボルト・コレクションを購入することを心に決め、ロシアのアカデミーに実行させたことは成功して、セント・ペテルブルグの地に残ったことは幸いであった。
慶賀の図が下絵になっているのではないかと、かつて予想していたが、慶賀の描いたままの植物図と「フローラ・ヤポニカ」とをくらべてみて感銘深いものがあった。人の好みにもよるが、慶賀の図の方が自然の植物から直接描かれているだけに迫力があり、すぐれて見えた。伝統の長崎絵の写実性に加えて当時の清国、欧州両方の図の長所を生かし、シーボルトの指導のもとに描かれた慶賀の植物図は他にみられない独特の表現をしている。写実的ではあるが、その自然部分の切りとり方でその植物の性質を生かしている。本書で始めて復原された植物図は学術的に貴重であるのみならず、植物図として科学的にも正確な点と芸術の美を共に備えた最高の植物図であり、植物学、科学史、絵画史の専門家に限らず広く植物を愛する人々の宝であろう。
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