理科年表エピソード

「理科年表」はどうして誕生したのか?
大正13年、国立天文台の前身である東京天文台は、麻布から現在(国立天文台)の三鷹に移転しました。その翌年に、理科年表の第一冊目が産声を上げました。ちなみにこの年はラジオ放送が開始され、また山手線や東京の地下鉄が営業を開始しています。
当時、日本では、国をあげて科学教育の振興に努めていました。そこで、科学の各分野の基礎となる資料・数値情報を集め、国民に広く普及させようという考えが生まれたのです。そこで国はその編纂を東京天文台に依頼したのがきっかけとなり、大正14年2月20日初めての理科年表が発行されることになりました。

不幸な時代
日本の、また世界にとっても不幸な時代、第二次世界大戦。この戦中、戦後の昭和19年、20年、21年の三年間には、理科年表は発行されませんでした。紙、インクなど物資の調達も難しく、日本の教育、学問も庇護されず、疎ましい時代でもありました。過去の長い「理科年表」の歴史の中で、この3年間が唯一の未発行となりました。

南極観測船と一緒に
意外と思われるでしょうが、南極観測隊の毎年の必需品のひとつがこの「理科年表」です。改正された最新のデータが観測には欠かせないのです。かつての観測船『宗谷』は毎年11月に出航しました。このため、「理科年表」はそれに間に合わせるために11月に発行することになったのです。現在の観測船『しらせ』は、11月中旬ごろ出航しますが、間に合わない場合、食糧補給のためにオーストラリアなどに寄港の際、東京より空輸された「理科年表」が観測船に乗り込みます。
「理科年表」の中には南極のデータの数々が盛り込まれています。観測隊は、南極大陸の氷に閉じこめられた数十万年前の太古の空気を解析しながら今日の異常気候の謎を解明するのでしょうか。

科学の規範、引用される「理科年表」
多くのマスメディアでは、「理科年表」に収録されているデータが科学データの基本であると捉えられ、様々な引用がなされています。たとえば、火山の噴火が起こったとしますと、その過去の履歴、周辺の地殻、災害の状況などが記事になります。その際、本書からの引用が新聞の紙面を飾ります。国立天文台の編集による信頼の高さとデータを積み重ねてきた歴史の証が、「理科の六法」として科学の規範になっています。
一方で、「理科年表」は雑誌のコラムやTVのバラエティ番組、クイズ番組のタネ本としてもよく活用されているようです。これも本書が、幅の広い、奥行きをもった資料であることの証左でありましょう。
これからも多くの人に「理科年表」が愛され、学問や仕事へご活用いただくばかりでなく、科学への知的好奇心をよりいっそう広げていただくために利用されることを望みます。

犯罪科学捜査とロケーション撮影
×月×日午前×時×分、その時の天気は、風向は、場所はどこで、当時は日が射していたのか。日の出、南中、日の入りなどのデータのほか条件が揃えば、事件当時の影の長さにまで立証することができます。こうした科学捜査の基本的なコンテンツを備えた「理科年表」は、時には犯人のアリバイを崩すこともある『陰の捜査官』でもあります。また、推理小説、テレビや演劇などのフィクションの世界でも、科学的・年代的考証の裏付けに役立っているほか、映画のロケーションの撮影が行われる際には長期間の滞在、晴れ、雨、雪のシーンとその確率の高い場所、日時などの選択に「理科年表」が主役を務めることもあるのです。


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